12生活保護制度の歴史と変遷:日本のセーフティネットの歩みを行政書士が解説

生活保護制度の歴史と変遷:日本のセーフティネットの歩みを行政書士が解説

 いちかわ行政書士事務所の市川です。千葉県流山市を拠点とし、生活保護申請サポートを通じて、皆様の生活の安定と権利擁護に日々努めております。

 現代の日本社会において、生活に困窮した人々を支える最後の砦として機能している「生活保護制度」。しかし、この制度がどのようにして生まれ、現在のような形に整えられてきたのか、その歴史をご存知の方は少ないかもしれません。

 今回は、日本の生活保護制度がたどってきた歴史と変遷を、過去の救貧制度から現在に至るまで、その理念の変化とともに解説します。

1.近代以前の救貧制度:相互扶助と慈善の時代

 生活に困窮した人々への支援は、洋の東西を問わず古くから存在していました。日本においても、奈良時代には貧しい人々を救済するための「悲田院(ひでんいん)」が設けられ、平安時代には「施薬院(せやくいん)」で医療が施されるなど、仏教思想に基づく慈善事業や地域コミュニティ内での相互扶助が中心でした。

 江戸時代には、各大名家や幕府が飢饉の際に「囲米(かこいまい)」を放出したり、「米蔵(こめぐら)」を設置し備蓄米を放出し飢餓をしのいだりしました。また、「無宿人」対策として人足寄場(にんそくよせば)が設けられるなど、貧困対策が講じられましたが、これらはあくまで一時的、恩恵的な措置であり、現代の「権利」としての保障とは異なるものでした。

2.明治・大正期の救貧制度:恤救規則から救護法へ

 明治維新後、西洋の制度を取り入れる中で、国家による救済の仕組みが模索され始めました。

 1874年(明治7年)に制定された「恤救規則(じゅっきゅうきそく)」は、日本で初めての近代的な救貧法令とされました。これは、極めて限定的ながらも、国が貧困者を救済する責任を負うことを明記した点で画期的でした。しかし、対象は「老衰・幼弱・疾病・不具」で「他に扶養者なき者」に限定され、「自力で働く意思がない者」には適用されないなど、自己責任論や家族扶養の原則が強く反映された、恩恵的かつ限定的な制度でした。

 大正時代に入ると、産業の発展と都市化の進展により、従来の村落共同体による相互扶助が機能しなくなり、都市貧困問題が顕在化しました。そして、第一次世界大戦後の不況や米騒動などを背景に、より広範な救済の必要性が認識されるようになりました。

1 929年(昭和4年)、恤救規則に代わり「救護法(きゅうごほう)」が制定されました。これは、恤救規則よりも対象者の範囲が広がり、現物支給だけでなく現金支給も導入された点で進歩的でした。しかし、依然として「慈善」や「恩恵」の色彩が強く、国民の「権利」としての保障にはほど遠い状況でした。また、地方自治体の財政状況に左右される側面も残っていました。

3.戦時下の国民生活と戦後の変革:生活保護法の誕生

 第二次世界大戦が激化する中、戦災孤児や被災者、外地からの引揚者など多くの人々が極度の生活困窮に陥りました。こうした状況下で、従来の救護法では対応しきれない事態が生じました。

 終戦直後の1946年(昭和21年)、日本国憲法が公布される前の暫定措置として、旧生活保護法が制定されました。これは、GHQの指導も影響し、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を国民の「権利」として保障するという画期的な理念を掲げたものでした。

 そして、日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」(生存権)が制定されたことを受け、その精神を具現化するものとして、1950年(昭和25年)に現在の生活保護法が制定・施行されました。

 この1950年生活保護法の大きな特徴は、以下の4つの基本原理と4つの基本原則が定められていることです。

【四つの基本原理】

1:国家責任の原理: 国が貧困に陥った国民の保護を行う責任を負う。

2:無差別平等の原理: すべての国民は、等しく保護を受けられる権利を有する。

3:最低生活保障の原理: 健康で文化的な最低限度の生活を保障する。

4:保護の補足性の原理: 努力してもなお生活できない場合に保護を行う(最後のセーフティネット)。

【四つの基本原則】

1:申請保護の原則: 保護は、原則として本人またはその扶養義務者の申請に基づいて開始される。

2:基準及び程度の原則: 保護は、厚生労働大臣の定める基準により測定した最低生活の需要を満たすのに十分なものとする。

3:必要即応の原則: 保護は、その要保護者の年齢、健康状態等その個々の必要の相違を考慮して行われる。

4:世帯単位の原則: 保護の決定は、原則として個人ではなく世帯を単位として行われる。

 これらの原理と原則は、現代の生活保護制度の根幹をなしています。

4.高度経済成長期から現代へ:制度の運用と課題

 1950年の生活保護法制定後、日本は高度経済成長期を迎え、相対的に生活保護受給者数は減少傾向にありました。しかし、オイルショック後の不況期やバブル崩壊後の長期不況、高齢化社会の進展とともに、再び生活保護の重要性が増していきます。

 制度の運用においては、不正受給対策の強化、就労支援の充実、医療扶助の適正化など、時代に応じた見直しが繰り返し行われてきました。2000年代以降、経済のグローバル化や非正規雇用の増加、少子高齢化といった社会構造の変化に伴い、生活困窮者の多様化が進み、制度の柔軟な運用や、生活困窮者自立支援法(2015年施行)のような関連制度の整備も進められています。

まとめ:社会の変化に応じて進化するセーフティネット

 日本の生活保護制度は、恩恵的な救済から国民の「権利」としての「生存権保障」へと、その理念を大きく変遷させてきました。これは、個人の努力だけでは対応しきれない社会的なリスクに対し、国家が国民の最低限の生活を守るという、現代社会におけるセーフティネットの重要な役割を果たすに至った証でもあります。

 もちろん、制度には常に課題があり、社会の変化に合わせて見直しや改善が求められます。しかし、その根底には、誰もが人間らしく生きられる社会を目指すという、変わらない理念が存在します。

 いちかわ行政書士事務所は、この生活保護制度が真に困っている方々に届くよう、申請のサポートからその後の生活支援まで、皆様に寄り添ってまいります。もし、生活保護についてご不安やお困りごとがあれば、どうぞお気軽にご相談ください。